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町名の由来

材木町(ざいもくちょう)
東海道線の天竜川鉄橋の西岸に位置する町で、明治中期頃から製材を中心とする木材関係の工場が多くなり、中ノ町地区の国吉町と共に木材の団地化をみた。このため和田村が市に合併した翌年、それまでの大字半場を改めて材木町とした。地域の産業をよりアピールさせるためにこの町名は大きな役割を果たしている。

大字名であった半場(はんば)は、江戸時代の長上郡半場村で、村高133石余(元禄高帳)の村勢であった。半場の地名の由来は橋場が転化したものとされている。橋場が転化したといえば橋羽(天龍川町参照)の場合も同じで、もとは橋場といわれていたという。

天竜川右岸のこの辺りは、ちょうど鶴見や新貝の両側を流れていた天竜川の分流にあたる西派川の分流点にあたり、また、その西派川に流入する支流もあって、幾筋かの流れがあり、その流れには橋が渡されていた。橋のある場所ということから橋場となり、それが半場となったといわれている。

別説によると筏師の飯場があったため、地名となったというが、天竜川水系から筏で流下させた木材が半場で陸揚げされるようになったのは、明治中期以後であるから、この説は受け入れにくい。

筏に組まれた天竜材が半場にあげられるようになったのは、東海道線が開通し、天竜川駅が開設された明治25年で、当初は貨物専用の駅であった。しかし明治31年7月から一般旅客も乗降ができるようになった。

半場において陸揚げされたのは筏だけではなく、久根鉱山や峰之沢鉱山で採掘された鉱石があり、大きな帆をはった鉱石船が天竜川を上り下りした風景は、当時の風物詩であった。