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町名の由来

薬新町(やくしんちょう)
江戸時代の薬師新田村で、しに合併前の和田村薬師新田である。昭和30年薬新町になったとき、大字薬師と大字北島の一部がこの町に組み入れられた。薬師新田の地名を短縮して薬新町としたもので、薬師町の東側に接してコの字型の町域を持っている。

薬師村の新田地として開発され、当初は薬師村に組み入れられていたが、室町末に本村から分離独立して新田村となったもので、「元禄高帳」によると村高86石とある。

江戸後期の天保年間の文書を見ると、薬師村は昔薬師村と薬師新田村の2ヶ村に分離していた・・・とみえているから、江戸の中期から後期にかけては一時本村に合併吸収された形になっていた時があったように思われるが、江戸末期にはふたたび分離独立している。そして明治22年に橋田村の大字に、そして和田村の大字となり、しに合併をみた。

現在、この町の一角にある児童遊園地に「従是西浜松領」と刻まれた、高さ1.5mほどの石柱が残されている。これは浜松藩領内であった薬師新田村と、旗本松平氏の知行地であった安間新田村との境にあたる東海道筋の安間橋際に建てられていた、領境を示す傍杭である。