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町名の由来

安新町(あんしんちょう)
安間町の項でもふれている通り、安新町の前身は江戸初期に安間村から分離独立した安間新田村で、本村である安間村と同様、天領の村であったが、幕末になって旗本松平氏の知行地となった。

明治22年橋田村の大字に、そして和田村の大字に、市に合併後の昭和30年に大字安間新田のほぼ全域と大字北島の一部をもって安新町となった。安間新田の地名を短縮したものである。江戸中期の元文元年(1736年)の記録によると家数は19軒で、このうち6軒が東海道筋に沿っていたとある。

町域は安間川中流左岸(東岸)にあり、国道1号線と国道151号線、それに東名高速浜松インターに通ずる浜松インター線、さらには県道中野町市野線が町内を通り、地理的環境がすっかり変わってしまった。

安間郷の芝切りとされている安間了願が屋敷を構えていたのはこの安間新田とされ、了願の後裔にあたる安間家が、今もこの町に屋敷を構えている。安間家歴代の主のうち、幕末から、明治、大正期に俳人として活躍した木潤(もくじゅん:本名 台(うてな))は、地域文化に大きな足跡を残した。